第七幕 愛(あやまち)
一章
ドアの向こうには、蝋燭の灯が揺らめく大きな部屋があった。
アンティーク調の天蓋付きベッド。あ
その隣には――。
「…柩?」
「そう、私の柩。私はね、生きた屍なの。あなたなしでは屍も同じ。」
「君は…?」
当惑したように尋ねた僕に君は淡々と答えた。
「私は吸血鬼(ウ゛ァンパイア)。16世紀半ば、あなたと出会い恋に落ちた―。でも、あなたの命には限りがある。だから、待つことにしたの。そして漸くあなたを見つけた。」
「僕もウ゛ァンパイアなのか…?」
「いいえ、あなたは私に恋をした。そして、自ら私の糧になることを望んだの。最初、私はあなたの申し出を断った。でも、あなたは毎夜この屋敷を訪ね、糧になりたいと、私の一部として生きたいと、申し出たの。」
「僕は…。」
「今のあなたに、私の糧になって欲しいとは言わないわ。でも、少しの間私のそばに居て欲しい。もう、永くは保たないから。」
「それは、一体…?」
「きっと、長い間、この世界を離れすぎたせいね。」
「僕を探す為に…?」
「誤解しないで、私の為よ。」
「――僕の血を飲めば、助かるの…?」
「そうね、助かるかもしれない。でも、同情なんか要らないわ。」
最後まで気高さや誇りを捨てたくないのだろう。
恐らくそれは、君の最後に残されたプライド。
「君と共に生きるよ。」
「私と共に生きる?自分の言ってる事をよく考えることね。」
「僕は本気だよ。君を死なせるくらいなら、いっそ共に死んだほうが楽だ。」
「それはどうかしら?私と共に生きるなんて、軽々しく言っちゃダメ。」
「どんな事だって耐えてみせるよ。」
「禁忌を犯せばどうなるか…。きっと後悔するわ。」
「そんな事どうでも良いんだ…。ただ君と一緒にいたいから。それではいけない?」
「止めましょう。こんな話。」
二章
そう言って、歩き出そうとした君の腕を引っ張り、僕は無理やり接吻(キス)をした。
無我夢中で君の唇を奪い、きつく抱きしめる。
蝋燭の灯が揺れる部屋の中、僕は君を貪る様に愛した。
静かな部屋に愛の音(ネ)が響く―。
小さな飴を少しづつ融かし、味わう様に。
古びたシーツの上で。
君の服を一枚一枚剥ぐ様に。
リボンを解き、コルセットを緩めていく。
ドレスの裾から忍ばせた指からは滑らかな肌の感触。何度も体を重ね、絡み合う吐息の中。
君の白い肌に散っていく薄紅の花弁(ハナビラ)。
うっとりと、僕は君に溺れていく――。
「こんなこと許されない。」
そう呟く君を後ろから抱き締め、柔かな耳を甘く食み…。
僕は禁忌と言う名の陶酔の中に堕ちていった。
三章
君は僕の腕の中で小さく身じろいだ。
「まだ真夜中ね。」
ベッド脇にある薔薇の置時計を見ながら君が呟いた。
「もしかしたら、これで良かったのかも。嘗ての僕が君を愛し、禁忌を犯したように、君に会ったあの時から、僕はこうなる事を望んでいたのかも知れない。」
「きっと、後悔するわ。」
「しないよ。僕にとっては君がいない世界こそが地獄。太陽のない、永久の闇だから。」
君はそっと僕に頭を預け静かに眠りに落ちた。
ふと、僕は不安になった。もし、このまま夜が明けたら?
君は日に当たってしまう。そしたら……。
言いようもない恐怖に襲われ、僕は君を起こそうとした。
けれども、本来ならば夜行性の筈の君がピクリとも動かない。
恐怖が胸を覆い尽くす。
何とかして君を隠さなくては。
咄嗟に君を柩に横たえることを思いつき、急いで君を抱き上げた。
柩を開ける――。
四章
僕は硬直した。
君を抱いたまま、足が砕けた様にその場に崩れた。
その衝撃で君を起こしてしまったのだろう。
「どうしたの…?」
目を瞬かせながら君は尋ねた。
僕には柩を指すのが精一杯だった。
「見たのね?」
「あれは、一体…?」
「美しいでしょう?嘗てのあなたよ。」
「僕…?君は…。」
「だから、止めましょうって言ったのに。」
僕には、これが『夢なんじゃないか?』とさえ思えてきた。
16世紀に生きていた筈の僕が――。
柩の中で肖像画と、全く変わらない姿で眠っている。よくよく考えてみれば、彼女だって全く変わっていない。
「僕と彼は別物だよ。だって、彼はここにいるじゃないか。」
「そうね、でも彼はもう生きていない。」
「生きていない…?」
「そう。彼の肉体は生きていた頃と変わらず此処に在る。けれども、彼の魂は…。」
「僕の中に在るとでも?」
「そう、あなたの中に在る。」
「そんなこと…。」
でも、恐らく彼女の言っている事は本当だろう。
もし、僕が彼の生まれ変わりでなかったとしたら。
僕は彼女にあんなにも興味を示しただろうか?
名も知らぬ人間と一緒に居たいなどと思い、
手を差し出したりするだろうか?
恐らく答えは出ている。
普通に考えて見れば、答えは簡単に出てくる。
そう、答えはNOだ。
そして僕は、僕に許された唯一の行動をとった。
跪き変わらぬ愛を誓うこと。
それこそが僕に唯一許されたモノ。
「君と共に…。」
君の手を取り、口づけた。そんな僕を、君は静かに見下ろし――。
微笑んだ―。
「私の愛しい人…。」
そっと寄せられる唇が重なった時。
僕はすべての運命を受け入れた。
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