ギャグが好きな人へ捧ぐ
   ―続・天使のいた夏―


立ち尽くしたまま、私は透明な雫をこぼし続けた。まだ昼にはならないけど、早く帰らないとこの田舎に置いてきぼりだ。袖がないのに癖で涙を拭う。でも広がっただけだった。サイアク。
顔を上げて、もう一度墓石を見つめる。暑い日差しを遮るように、大きな影が私を掠めた。羽音。いつかの鳥がこの森、この山に舞い降りた。見上げれば、白い鳶がゆっくりと円を描いている。
大きな羽の煽りがここまで届いたのか、涼しい風が森を抜けてくる。赤茶の長い髪を広げて、それは山を降りていく。涼風の中を少し待って、鳶が遠く離れていくのを見届けてやった。
山を下りる前に最後、彼の墓へ問いかける。

「名前・・・何て読むの?仮名ぐらい振っておきなさいよ。」

「・・・貴女、ここまできてそんなことを・・・。」

呆れたような、安心したようなあの声。振り返ってはやらない。拭ったばかりなのに、また流れ出した雫はほろりと落ちていった。やっぱり、嬉しいものは嬉しい。

「きらきらしていて綺麗ですね。落とすなんて勿体ない。」

「泣かせたの誰よ?」

「・・・。ごめんなさい。」

きっと苦笑しているんだと思う。静かな声。

「沙世の時も同じことを言いました。大切な人が、自分のために泣いてくれるなんて。悪いことをしていると分かっていても、嬉しかった。」

沙世。それはひいおばあちゃんの名前。きっと兄の死に際か何かに泣いたのだろう。妹を泣かせても、泣かせた本人は気の利かないことを言ったの。しかも、曾孫娘の中に彼女を重ねてまだこんなことを言う。鈍感を訂正して無神経と認めよう。会えて嬉しいけど、顔を見たくなくなってきた。
草を踏む音が近付く。私は自分を抱くようにして俯く。消えたハズの彼がいる。これは神の計らいか?また、少しの別れを言って消えるくらいなら触れないで。私は沙世さんではないの。屈折した想いならいらない。

「一つ、言いたいことがあったんですよ。聞いたかもしれませんが、僕の妹は貴女の曾祖母に当たる。会った時から分かっていました。でも、だからと言って、大切な人同士を重ねていた訳ではありません。貴女に対するものは沙世の時とは違った。どうしたらいいのか分からなくて、結局何もしてあげられなかった。」

・・・?

「天使の格があると、自分のことはほとんど口に出来ません。何も教えてあげられなくて、貴女は僕がいない中、他人からそれを聞いて。何も言わなかったこと、勘違いされたままなのは嫌でした。僕は永良恭(ながらきょう)。貴女の先祖の一人です。でも、僕は貴女を子孫として扱ってはいません。会った時は沙世の遠い娘だと思っていましたけど、今は・・・うあぁっ!?」

「っくだくだと言わんで宜しいっ!そんなのとっくに知ってるわよっ。馬鹿っ!」

馬鹿は私だ。この刹那的に鋭い明治人が、他人に他人を重ねられるほど常に器用である訳がない。自分の気持ちも分かってないなんて鈍いとしか言いようがない。無神経に人を疑っていたのも私。この鈍感さに自分の勘違いを知らされて、ホントに馬鹿。
髪を乱して振り返った。近付き過ぎで長い髪に襲われた彼は、驚きもそのままに膝蹴りを喰らう。濁点の付いた声を上げながら、明治人はしゃがみ込んだ。
濃さの違う和服は変わらず、病的な白い肌も深い栗色も、何となく抜けた優しい雰囲気も同じ。自分から色々と話し始めたということは、「天使の格」とかいうものがないからか。
細い足からの膝蹴りは、的確に腹部を捉えていた。彼はうるうると瞳を潤ませながら魂を飛ばしている。一度死んだ人間が魂を飛ばすとは、反則だ。
半分八つ当たりに近かった攻撃。自分の勘違いからの照れ隠しには、少しやり過ぎたかもしれない。彼の前に膝を着いて、柔らかな髪を抱く。少し見上げるような素振りがあったけど、それは一瞬。すぐ甘えるように体重がかけられる。享年二十五、百年前のお化けを懐かせたのね、私ってすごい。まぁ、懐きたいのも甘えたいのも私だって同じなんだけど。今はコイツが可愛いからこれでいい。

「黒ずくめの奴から色々聞いたの。アイツも何者か自分で言わなかったけど、もういい。アンタ一人ぼっちだったのね。勝手に天使にさせられて、自分のこと言えなくなってたのね。黒ずくめから言われたことで何か勘違いしてた。ごめん。」

多分勘違いの内容は正しく伝わっていない。でも、教えてなんかやらないわ。柔らかな髪を撫でる。

「それで、どうしてここにいるの?アンタはこれからどうなるの?」

「・・・貴女が会ったその黒ずくめさん。彼とはどこかで一度会ったんですけど覚えていなくて。昨日の夕方に会った方の黒さんを、彼は話すだけで追い返してくれたんです。それで天使を辞めるようにと。さっき辞めてきました。」

本音一、天使って辞められるんだ。本音二、なれるのもおかしいけど辞めるのもどうなの?
あの黒ずくめは彼に、また狙われるくらいなら天使の任を降りろ助言したらしい。悪魔は天使を狙う。だが、ただの幽霊なら気にも留めない。彼はただの霊に戻って帰ってきた。さっきの、今までの羽音や影は翼ある彼のものだったという訳か。今のが最後の羽音。

(白い翼がある天使姿も見たかったなぁ・・・なんて欲張ってみたりしてね。)

明治人、恭は「これからはまたここにいる」と私に擦り寄ってきた。ただの霊のせいか、日光の中で少し透けている気がする。昼にお化けは出ないって言うし、日の中にいるのは難しいのかもしれない。辛いのを我慢しているのなら止めさせなければ・・・。でも、本人の口からここにいると聞いて安心したわ。

「そっか、ただのお化けなのね。ちゃんとここにいるのね。良かった・・・。無茶して護ろうとか思わなくていいから、もういなくならないで?」

「あ、それがここにいるんですけど・・・。」

「何?」

健気で一途な少女の声が一気に殺気立つ。そんな感じだと思う。腕の中の恭がビクッと震えていたとか、冷や汗を流しているとか、気のせいかしらねぇ?
彼は私から少し離れて下を向く。逃げるつもりはない様子。人間は生死を問わず、やましいことがあると目を合わせなくなる。コイツは何を言い出すんだろうか。

「う・・・怒らないで下さいね?」

「内容にもよるわねぇ。」

心配性は、腕を組んで斜に構える私に怯え出した。相手が幽霊でも蹴れるんですもの。大丈夫よ恭クン。別れるなんて許さないし、成仏だってさせないから。

「・・・こ、怖いです。」

「さっさと言いなさい。」

私の極上笑顔を怖いなんて、失礼ね。内心を隠し、そのままの表情を保って、一言切り捨てた。もちろん、コイツがこれに逆らうことはない。

「はい。・・・ここにいると言っても、僕は墓で大人しくしているつもりはありません。」

「へぇ、そうなの?どこにいるのよ?」

「えっと・・・一年も待ちたくない。待てない。だから、貴女に付いて行きたいんです。」

「憑いてくる?私お化け憑きになるの?」

手を前で合わせて下を向いたまま、恭は悪いことでも言うように呟く。何を怒られると思っていたんだろう。願ってもないラッキーに私は呆ける。コイツを連れて帰れるなんて、幸せじゃないのよ。
私の内心が見えない、少しも読めていない鈍感な彼は必死に説明を始める。誰も怒ってなんかいないって。首をぶんぶん振るなんて、可愛らしい行動しちゃダメ。美味し過ぎるから。

「悪い背後霊とか悪霊とかにはなりませんっ。貴女の未来をどうこうしたい訳じゃありませんっ。ただ一緒にいたいんですっ。・・・貴女が話してくれた世界が見たい。貴女の楽しそうな顔が見ていたい。・・・本当は・・・何もなくってもいいんです。側にいさせて・・・。」

しょげたように恭が大人しくなる。天使になれるような奴が、簡単に悪霊にはならないでしょう。でも、ここでダメって言ったらショックでぐれて悪くなるかな。
軽く見上げる位置にある頭を撫でてやる。コイツはやっぱり、他人にも自分にも鈍いんだ。よしよしと子供扱いをされて、五つ以上年上の彼は少し照れる。

「いいわ。アンタならいい守護霊になってくれそうじゃないの。こっちからお願いするわよ。ウチのご先祖様な訳だし、私も出来ることなら連れて帰りたかったもの。ぶっちゃけ誘拐も視野に入れてたわ。」

「ゆ、誘拐っ!?」

恭はつい声になってしまった言葉に驚愕する。半歩退いたものの、がしっと腕を掴まれてそれ以上は逃げられない。お化けなのに捕まって可哀想ね。綺麗に、それはもぅ美しく微笑んで、彼に首を傾げて見せた。

「ねぇ、一つ聞かせてよ。文才があるとか何とか言ってたわね?あなたが知ってる言葉全てを使って、今のあなたにとって私がどんな存在か説明して。」

「え?・・・今の僕にとって貴女は・・・?」

ふと怯えが消え、呆けたように恭は固まる。少し考えて、彼は穏やかな、限りなく黒に近い栗色の瞳を細めた。柔らかな雰囲気は甘える側ではなく、甘えられる側のそれ。本当によく雰囲気も表情も変わる奴。どれも嫌いじゃない。

「そうですね。難しいことは言いません。何より大切な人。・・・きっと、僕にとって貴女は愛すべき人なんです。貴女のこと大好きですから。」

「きょーーーーっ誘導してないのによく言ったわっ!ちゃんと分かってるじゃないっ!」

「えぇっ!?ちょっとっ危ないですよっ!?・・・もぅ〜っ・・・。」

コイツは恥じることなく欲しかった言葉を言ってくれる。唐突に叫びながら私は嬉しさ全開で抱き付いた。恭はお化けのくせにあっさり抱き留めてくれるし、懐く私の髪を優しく梳いてくれる。呆れたようなあなたも大好きよっ。

(愛することが分かるならもっと愛して。これから時間をかけてもいい。私に恋してよ。)

その後数分、飽きるほど彼に甘えてやった。照れてはいたけど、やっぱり彼は嫌がる素振りを欠片も見せない。むしろ嬉しそうだった。
そろそろ山を下りないとと恭に言われて、やっと家のことを思い出す。山で遭難したようなことを言われていたら厄介だな。急いで石段を駆け下りた。初めて恭が一緒に付いてくる。それが何より嬉しかった。

家に着いてからは大分叱られた。だけど、仏壇の前でひいおばあちゃんの写真に懐かしそうな顔をしている彼がいたから、大して怒られている顔をしていなかったと思う。父親にも「心配かけておきながら笑うなっ」と怒られた。笑ってたのね私。
これから、都会というコイツにとって未知の世界へ帰ることになる。どんな反応をしてくれるのか、楽しみで仕方がない。つまらなかった日常がきっと新鮮なものに変わる。そして、私は周囲から独り言が増えたとか言われるの。

「・・・!?それっ!!それ何ですか!?喋ってるっ!?」

「あぁ、そういえば恭には携帯も見せてなかったわね。」

『ん〜悠香、何?側に彼氏でもいるの?田舎帰って男作るなんてぇ遠距離覚悟?切ろうか?』

「山暮らしの従兄弟よ。構わないわ。携帯が珍しいの。」

ほら。こんな感じにね。



―終―





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