拝啓、猫より

あお著


 私、名前を『二代目 駅長』と申します。いえ、職業ではなく、名前です。まぁ、職業でもございますが。
 私の日常はだいたい決まっておりまして、朝は随分早いんでございます。まだ来ない駅員さんに代わりまして、私が改札口に座り、皆さんを送り出すのでございます。一口に送り出すと言いましても、これがなかなか大変なのでございます。改札を通る一人ひとりに、にゃーと鳴いて挨拶せねばなりませぬし、セーラー服を着た学生さんなどは、私の喉をさすっていってくれるのですが、そのときは必ず喉を鳴らさなくてはなりません。だからといって、さすってもらうのが嫌いなわけでは決してございません。逆に、さすってもらうことは、なんとも気持ちのいいことなのでございます。しかし、ついついその気持ちよさに身を感けてしまいますと、その隙に、挨拶をしそびれてしまうことがあるのです。それは、この駅に勤めているものとして、あってはならないことなのでございます。初代 駅長である私の父はよく言っておりました。私たちはこの駅の顔なのだと。ですから、この駅を気持ちよく使ってもらうためにも、挨拶は決して欠かしてはならないのでございます。

 朝の九時になりますと、ここの駅員さんがやってまいります。名前を大谷さんといい、笑顔が似合う、初老の優しい人でございます。他にこの駅で働いているものはおりません。私と大谷さんふたりだけで、駅の仕事を全てまかなうのでございます。
 大谷さんは朝来ると、まず駅長室のカギを開けます。シャッターのかかった窓口を開き、それから水拭きで駅構内を綺麗に拭いて回ります。箒で落葉などを集め、ホームの中ほどにある公衆トイレを丹念に磨きあげます。大谷さんはそれらの仕事を決して手を抜くことなくこなしていきます。その間にも大谷さんは、会う人会う人に挨拶をし、訊ねられれば、それについて丁寧に受け答えします。もちろん、私も挨拶を欠かしません。

 さて、十一時ごろになりますと、駅に来る人足もひと段落します。そうしますと、大谷さんは私にご飯をくれるのでございます。大谷さんが持参したねこまんまのおにぎり、これが私のお給料になります。頑張ったあとのかつお節ご飯は格別に美味しいものでございます。大谷さんも、私が食事をしている横でお茶を啜り、一息着くのでございます。
 その後、私は改札口の真ん中にあります、オレンジ色の切符入れのポストに跳躍一つでよじ登り、うららかな日の光を浴びながら、うたた寝をするのでございます。雨の日は構内の長椅子にあります座布団に丸くなって、陽射しの強い夏の日は、地面の冷たい日陰を見つけて、そこで昼寝をするのでございます。

 ここら辺で少し、この駅のことを紹介しておこうかと思います。
 この駅の名前は『かみざわ』といいまして、『とうげ』という駅と、『いまざと』という駅の間にある駅でございます。
駅のホームの線路を越えたところには、広い野原が拡がっており、春のこの時期ですと、ちょうちょがひらひらと飛んでくるのでございます。それを追いかけるのが、私のなによりの楽しみになっているのでございます。野原の向こうには横に長く山が控えており、その向こうには、残念ながら私、まだ行ったことがございません。

 さて、駅の構内に戻りまして、ホームと反対側に出ますと、目の前には一件の酒屋さんがございます。私、そこのおばあさんとはけっこう仲良しで、よく煮干などをわけて頂くのでございます。おばあさんは名前をトメさんといいます。トメさんは小学生にも人気もので、駄菓子を買いに来る子供には、トメおばあちゃん、と親しまれているのでございます。
 駅の前にあるお店はそれ一軒だけで、他にはございません。
 駅の目の前には、バスの停まるところがございまして、一日に二回、バスが行ったり着たりするのでございます。バスのお兄さんもとてもいい人で、停車している間に、よく私のことを撫でてくれます。
私、幼いころは好奇心がとても強く、バスがどこまで行くのか突き止めようとしたことがございます。しかし、途中でバスを見失い、恥ずかしながら、そのまま帰ってきてしまいました。そのとき見た風景は、どこまでも続く灰色の道に大きな入道雲が浮かび、両側には青々とした稲がそそり立っている姿でございました。

 さて、そろそろこの駅に、ちらほらと人が集まってまいりました。もうすぐ電車が来るのでございます。
 電車は、朝なら一時間に二本。昼間だとニ、三時間に一本。夕方は一時間に一本、という割合でまいります。
 大谷さんは改札口に立って、皆さんの切符を次々に切っていきます。私も、切符回収のポストから皆さんのお見送りです。
 ほら、だんだんと電車の音が近づいてまいりました。右前足の方向から、白い車体が二両続いて、このかみざわ駅にすべりこんでまいります。
 扉が開きますと、ホームに立っていた人たちは電車の中へ次々に飲み込まれていきます。空気の抜けるような音と共に扉は閉まり、電車は再び、静かにゆっくりと走りだしました。
 この時間にこの駅に降りられる方は、普段あまりおりません。今の電車では、一人も降りてまいりませんでした。残された大谷さんと私は、電車が見えなくなるまで見送って、また、電車が来る前と同じように、私は昼寝へ。大谷さんはなにやら物書きのため、机に向かうのであります。

 この、今見送った電車がどこに行くのか。皆さんは一体どこに向かわれているのか。一度気になって、これまた幼いころでしたが、電車の後を追いかけたことがございます。もちろん、すぐに電車は見失ってしまったのですが、バスと違って電車は線路の上を走るもの。線路をずっと辿っていけば、電車の行方も知ることが出来ます。そして、丸一日かけて線路の終わる最後の駅まで行ってきたのでございますが、あんなに大きな建物は初めて見ました。人もかみざわ駅とは比べものにならないくらい多いのです。私は、初めて見るもの触るもの全てに感動し、ゆらりと一日見学したあと、また丸一日かけて、このかみざわ駅に戻ってきたのでございます。
 すると、今より少し若い大谷さんが、大変嬉しそうに私を出迎えてくれました。三日間もいったいどこに行っていたのだと。そのあとも、駅を利用する皆さんがいつも以上に私を撫でていってくれました。そのとき、父の言っていた「駅の顔」の意味が少しわかった気がしたのです。
 その日以来、私はこの駅の周辺を離れたことがございません。

 さて、太陽も真上を過ぎ、西に少し傾き始めたころ、小学生が駅の前にある酒屋さんに、駄菓子を買いにまいりました。なぜ酒屋さんが駄菓子を売っているのか、不思議に思う方もいるかもしれませんが、これはなにも特別なことではございません。他にも、豆腐や醤油や味噌、それにちょっとした文房具もおいてあるのでございます。
 かみざわ駅の周辺には、商店街がございません。ですから、普段は皆さん、買い物は街の方まで電車で出かけているのでございます。しかし、醤油などは、夕食を作るときに、ついうっかり切らしてしまいがちなもの。そういうときのため、この町唯一のお店は、なんでも取り揃えているのでございます。駄菓子が置いてあるのは、ただ単に、トメさんが子供好きだからでございます。
 こう言いますと、皆さんの中には、猫なのにどうして私がそこまで詳しく事情を知っているのか、疑問に思うかもしれません。しかし、それもまた、別段不思議なことではないのです。私は長年、この駅で人間に慣れ親しんでまいりました。そうしますと、人間の会話を耳にする機会も大変多くなってくるのでございます。そういうときに、人間の言う言葉や、その意味を学ぶのです。それに、線路を辿って街に行ったとき、商店街というものを実際に見たこともございますし。

 さて、そろそろ私も、ちょいとトメさんのお店まで行ってみようと思います。
 トメさんはしわくちゃなお顔にさらにしわを作って、笑顔で「駅長さん、いらっしゃい」と言ってくれます。駅ではいつもお客さんを迎える私ですが、ここでは迎えられる立場になるのでございます。
 トメさんは店の棚から袋を一つとって、私のために煮干をいくつか地面に置いてくれました。ここで肝心なのが、間髪入れずいっきに齧り付くのではなく、にゃーとお礼を言ってから食べ始める、ということなのでございます。
 駅長たるもの、常に恥になる行動は慎まなければなりません。しかし、これが皆さんの思っているよりも大変難しいことなのでございます。
 父に連れられこの店に通い始めたころは、まだ、その我慢というものがなかなか出来ず、恥ずかしながら、何度も父に怒られた経験がございます。
 さて、煮干を食べ終え、再びにゃーとお礼を言ったあと、私はまた、駅に戻るのでございます。……が、子供たちはなかなか私を返してくれようとはしてくれません。全身を撫でられ、抱っこをされ……。私も子供は好きなのでございますが、子供はなかなか手加減というものを知りません。駅の構内に着いたころには、毛はすっかりボサボサになってしまっていました。私はそれを丁寧に舐め、毛並みを整えていくのでございます。
 毛並みが整うころ、それはちょうど学生さんたちが帰ってくる時間でもあります。私は改札口に座って、皆さんを迎えいれます。大谷さんも駅長室の窓から、「おかえり」と声をかけます。
 たまに、学生さんたちはいつもより早く、お昼ごろに帰ってくることもございます。しかしそのときは決まって、皆さんは浮かない顔をして、「駅長はいいよなぁ。日がな一日、のんびりしてればいいんだもん」と声をかけていくのでございます。全ての学生さんがそうというわけではございませんが、大抵の場合、いつもより長く、私のことを撫でていくのでございます。いったい、学校でなにがあったというのでしょう?

 日もだいぶ傾いて、紅い斜陽が駅構内を染めあげるころ、大谷さんは帰る仕度を始めます。遠くのお寺の鐘の音が、駅にまで響いてまいりました。それに合わせて大谷さんは窓口のシャッターを閉め、駅長室にカギをかけます。
 今日の業務を無事終わらせ、大谷さんは一つ伸びをして、私を撫でてから家に帰ります。私も伸びをして、そろそろ家族の元へ帰ろうかと思います。
 こう見えましても私、この春、三匹の子の父親になったばかりなのでございます。いつの日か、この三匹のうちの誰かが次期駅長になってくれることを、私は楽しみにしているのでございます。
 さて、手土産に一つ、また煮干でももらって帰りましょうか。皆さんも、どうぞお気をつけてお帰り下さい。――では、失礼致します。



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